プロフィール

糸井 亨について

理学療法士/セミナー講師

治療家をはじめたきっかけ

理学療法士/セミナー講師今の仕事をすることになった経緯からお話できたらと思います!
良かったらお付き合いいただけたら幸いです。

理学療法士国家資格試験不合格が大きな転機

私は、高校卒業後に大阪にある森ノ宮医療大学の理学療法学科に入学し4年で卒業しました。
そこだけ聞くと順調そうな表現をしておりますが、実情は全然です!
大学は何度も留年を危機に瀕しており、理学療法士国家資格試験には不合格!
負け癖がついた20代前半でした!

そもそも、なぜ理学療法士の大学へ進学を決めたのか、簡潔にまとめると「人と接する仕事」「珍しい仕事」「資格」この3つが大きな理由での進路選択でした。
理学療法学科に通う同級生の進路選択理由を聞くと志高く「人の役に立ちたい」「怪我をしたときにリハビリの先生にお世話になって憧れた」「身内が入院した際にリハビリをしている姿をみて目指した」など、眩しく感じる理由がありました。

大した理由もなく選択して進んだ理学療法士への道であったため、モチベーションが上がることがなく、授業・試験・実習に取り組む4年間であり、何度も辞めようと思いましたが辞める勇気もありませんでした。
卒業後、国家資格浪人となった私は、本来であれば理学療法士として勤める予定だった大阪市内の整形クリニックにて、リハビリ助手のアルバイトとして雇っていただくこととなりました。

入社10ヶ月後の勧告「3日後にクリニック閉院します」事件

リハビリ助手としてのバイト生活が社会人デビューとなりました。
その環境自体は充実しており、理学療法士の先輩方から学べる環境や医療の現場を体感できる場所でした!
ただそれは私にとって良い環境だっただけで、そこへ来院する方にとっては、どうだったのでしょうか?そこに疑問を持ち始めました。

当時のクリニックでは、毎日のように朝から院に並びリハビリを受ける方が多く、皆さん熱心に来られていました。
通院期間を聞いたときが衝撃で、「5年」「10年」通院されている方がかなり多かったのです!
これを聞いたとき、脳裏に二つのことが浮かびました!

「治ってないやん」「治してないやん」

本来リハビリになぜ通うのか。
本来の健康状態を取り戻し、日々の生活に戻るためです。
ただ5年10年通っているという事は、それができてない!
私の中では、リハビリは長期間通うものではなく短期間で卒業するものと思っていました。
でもそれが行われてないっていうのは、クリニック側と患者さん、双方で依存しあっているからなのではないかと思いました。
正直、仕方ないなぁと思います。
実際既に回復が難しい状態の方であるため、1番元気な時に戻れるかというと、おそらくやっぱり難しい。
でも依存しあうのは違うかな。
この時リハビリって何やろう、とか健康って何やろう、って言うのをすごく考えさせられました。
そんな矢先にある出来事が!いや、、、もはや、【事件】が勃発しました。

それは1月新年スタートし新しい1年が始まり1週間ほど経過したある日に、院長から言われました。

「緊急会議をします」

なんだろう?ただならぬ様子、、、
そこで院長から宣言されたのは、「3日後にこのクリニックを閉院します」でした!
かなり衝撃でした。そこで働くスタッフの方々はどうなるの?いま通院されている人はどうなるの?長年このクリニックを頼りに生活していた方々はどうなるの?
衝撃とともにいろいろな疑問が生じました!
そして結果的に宣言通り、、、緊急会議から3日後に、そのクリニックは閉院しました。
そこに通っていた患者さんたち一人一人が、その後どこを頼りに過ごしてたのか、私はわかりません。
ただ私の中で1つ確信したのは、病院だからといって安心できないし、それは働くスタッフも患者さんも安心できない。
また患者さん目線で考えたときに、本来病気にならなかったらクリニックに依存することもなく、この問題に直面することもなかったのかな!って思いました。
そこで私の中で考えたのは、理学療法士として病気になってからの機能回復に携わるセラピストであり続けるのではなく、そもそも病気にならないための体作りを提供できる人になろう!
そしてその病気にならない身体作りを当たり前にして、多くの人が健康な状態で大好きな人たちと、長い時間過ごし続ける!
そんな世の中を作るために自分は生きようと思いました。

理学療法士時代、6年間万年寝不足だったワケ

1年間の浪人生活を経て、何とか理学療法士になった私は大阪の病院で働きました。
環境も良くすごく充実していました。
そして17:30には退勤できる。労働面でもすごく良い職場でした。
そのときどんな生活だったか、、、

自分自身が将来的に実現したい環境を作るためには、リハビリに関する医学的な学びだけではなく、栄養学であったり、健康と大きく密接な関係にある美容、そして自分自身の知識技術を高めるための学びは必要だと感じました。
その学びを得ようと思うと勉強会に行く必要があります。
ただ専門的分野となりますので、勉強会費用は正直安くはないです。
勉強会のコースによっては当時もらっていた月収以上投資が必要な場合もありました。
そして理学療法士の社会では、勉強会に行って知識を増やして腕を上げたとしても給料に反映されるかというとそうでは無いのです。
理学療法士の中には、そこに不安を感じ、勉強会への投資をされない方も多くいます。
それもそのはず、ただでさえ理学療法士の資格取得養成大学の学費は600万ほどとなり、さらに投資していくのは正直痛手です。
さらなる投資をしないことは間違ってはないです。正しい選択です。
人によって何を大事にするかは人それぞれです。

私は勉強会への投資をたくさんしようと思っていました。
何故かと言うと、もともと学力のない人間なので人以上に学びをする必要があるからです。
そんな私が理学療法士として働きながらやった行動は、仕事終わりに副業をすることで資金を作り、すべて勉強会代に当てました。
そして勉強会の予習・復習であったり、自分が興味持ってる健康や美容、人間哲学も学び続けました。
ただ1日の時間は限られているので、平均的な睡眠睡眠時間が3~4時間である生活がほぼ毎日続きました。
その間は6年間。ただその生活は全然、嫌ではなかったです。
将来自分がやりたいことにつながっている!と思いワクワクした6年でした!

そして29歳のとき、もうすぐ30歳になるというところで独立を決意し独立しました。

独立するも整体・治療院市場はコンビニの2倍おにぎり同様、廃棄寸前事件

勢いよく独立した私は、最初共同経営という形でスタートしました。
「施術の腕には自信があるし、理学療法士資格もあるわけやし、病院経験もあるわけだから。
「他には負けてへんやろう」と考えていましたが、浅はかだったと当時を振り返って思います。

実際、世の中的には、理学療法士がハイブランドな資格かというと、別にそうでもなく、認知度も少ない。
さらに独立すると、整体師のカテゴライズになるので、保険も使えない。
よくあるマッサージ屋さんと、どう違うんだという認識を受けます。
人の不調を良くしたい思いとは裏腹に、求められるのはリラクゼーション。

この時期は、結構悩みました。
整体とか治療院市場は、コンビニの約2倍っていわれてるほど、多いです。
その中で、じゃあ自分だけ突出していくのは難しい。
世の中が求める【強いマッサージ】とか【バキバキ整体】や、はたまた【美容・ダイエット】など、一般ニーズがあり、SNS映えしそうなことを取り入れたらいいのかとかめちゃめちゃ悩みました。迷いました。

すごく迷いながらやってたため、破綻寸前、、、
コンビニのおにぎりが廃棄されるように、僕もこのまま廃棄されるんじゃないかと言う不安だらけでした。

依存させる治療院が嫌いだった自分が、リピートを求めるあまり、卒業させないサロンになっていた

さてそんな苦しい生活の中、何とか1年耐え抜きました。
自分なりにいろいろ試行錯誤しお客様にリピートをし続けてもらうことで何とか何とかやってきました。

しかし、、、
何かが違う。何かが違う。
と思っていたところを感じたのです。

これ自分が依存させるのが嫌と言っていたのに、自分がそれやってしまってないか、とそこに気づいたとき、、、すごく絶望的な気持ちになりました。
「何やってんねやろ」ほんまにやりたかったことが、独立することが目標なんではなく、人が正しい健康を知り、それが決して病院なりに依存せず健康維持ができる。
そのような人をどんどん増やしたい。
その考え方を当たり前にしたい。
そのような世の中にしたいと思ってたのに、自分自身、目の前のことでいっぱいいっぱいになり、自分が1番したくなかった患者さん、お客さん、頼りにしてくれる人を依存させる。
そして自分自身もそういう風になってしまっていました。

依存から卒業へ切り替えて、急激に成果があがった

独立当時私は、自分のサロンの名称を【肩こり専門サロン】でやっておりました。
しかし改めて自身のこだわり「依存しあうのではなく短期集中で関わり、もとに戻っていただく」と言う意味も込めて【肩こり卒業サロン】と言う屋号に変更しました。

卒業のためのハードルはすごくいろいろあります。
卒業にこだわることになり、自分が学ぶことの優先順位を治療技術の向上、自分の好きな身体に関する学びに集中することができました。

その結果、「コロナの後遺症」や「蕁麻疹」で悩む方、「イップス」で悩むアスリート、「トラウマ」を抱えた経営者など、困難と言われ悩んでいた方々に求められ、短期集中で卒業へ導くことが可能となりました。
オンラインでもそれが実現できるようになったため、特徴的であると言う評価をして頂く事となり、依存してしまっていたときとは、格段により紹介が増えて私自身の充実度が変化していきました。

そして現在、治療家の育成へ

依存しあうことではなく卒業し共に成長し合うことを心がけてから、私の満足度は分かりました。
それをするためにはどうしたら良いか、何をすれば良いかを追求してくれていることができる。

終わりのない学びかもしれませんが成長し続けることができるというプラスの解釈で、同じような思いを持ったセラピストたちと成長し合うことで健康な人たちを増やしたいと思っています。

僕が提供するサービスに込めた思い、あなたに約束できること

セラピストの方々へ、競合他社に負けて悔しい思いしたことありませんか?
他でもできることではなく、他にできないことができる。
その技術を得ることで独占的なマーケットを獲得できる可能性を信じてみませんか?

そして特徴的なものであるがゆえに、新規のビジネスの機会を継続的に受領できることを実現しませんか?
オンライン施術を通して、あなたを求める人が、国内だけではなく国外、まで広がる可能性があります。

そして信頼関係から生まれるスキルサポートとして、あなたが普段、施術をして疑問に感じたこと体験したいことを私は一緒に考え解決に導きます。
そして糸井のコンテンツはきっかけでしかなく、あなた自身の独自コンテンツとしてを確立していくサポートをさせていただきます。

僕の喜び・夢

私のこだわりは、大切な人と健康で豊かな生活をし続けれる。共に歩み続けれる。

それが当たり前になるように、子供のときから当たり前のように、それができれば変わるんじゃないかなぁ。
と信じています。

私は共に学んだ仲間とともに子供たちが今、私がやってるような治療をできることによって、ご家族さん、友人同士、部活の仲間、施術をし合い健康意識しあい、病気怪我にならないのが当たり前であることを皆が考えている。
そんな環境を作りたいと日々動いています。

そこに協力できる方ぜひ私にご連絡ください。

ご質問やお問い合わせ等、
何でもお気軽にご相談ください。

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